Easy Go Lucky!

2009年9月アーカイブ

天気がおもわしくないので、なんとなくゴロゴロと過ごしていた。
夕方になって、夫が「映画行くか?」と言い出した。テレビもおもしろくなさそうなので映画でも見ようかと。で、彼には特に見たい映画もないらしい。

前日、ようやくテレビで「おくりびと」を見ることができたが、やっぱり映画館で観たい映画だった。
家で観るとどうしても、何かをしながらになってしまったり、そこに2時間超という時間を集中することができない。じっくり観たかったと思っていたところだったので、映画館に行くのは賛成なんだけど、今、特に観たい映画はない。

「BALLAD 名もなき恋の歌」は元のアニメの方を観たいし、「多襄丸」は小栗旬が観たいだけだし、洋画に観たいものはなし...としたら、これしか残らなかった。

昨年、「第1章」を観て続編は観なくてもいいやと思っていたが、先日「第2章」をテレビで観ていたので、最後まで見届けてみようかという気になった。
観ている間は時間の経過をそれほど気にしなかったが、終わってみると案外長かったのでちょっと驚きだった。「エンドロール後の10分間がなかったら、『なんだこの映画は!』と暴れていたかもしれない」と夫が珍しく感想を言っていた。確かに最後の10分間がなかったら、ただの冗長な映画になっていたと思う。

今、思い返してみても、ふ~む、ま、こんなもん?
高橋幸宏が出ていてびっくりしたとか、佐野史郎の特殊メークがすごかったとか、そんな感想しか残っていない。

良くも悪くも堤幸彦監督作品。「TRICK」や「池袋ウエストゲートパーク」ほどの面白さが観られないのは、彼にはやっぱりテレビの演出の方が合っているということなのか。

歩いた歩いた

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シルバーウイークと言うらしい。
夫は、正月休みより長い連休に浮かれている。夏休みもとらずに働いたのだから、当り前か。
私の方は、土曜日は仕事とボーイスカウトの会議でまるまる1日家を空けていた。
だから、初日は「何もしない日」で好きなだけ寝てようと思ったのに、普段とほぼ同じ時間に目が覚めてみたら、もう夫も息子も起きていて、しかも、絵にかいたような上天気。

これは出かけるしかない。

2~3日前から夫が「柴又へ行こう」と騒いでいた。
「行ったことがないから。あと、水元公園に行く。子供のころに行ったきりだから」
という。息子に「じじぃだなっ」と言われながら(笑)

最寄りの駅から電車に乗りたくなくて、先の駅まで歩くことにした。
涼しいし、空は青いし、歩くにはもってこいの天気。少し先の駅まで歩くつもりが、大きくコースを外れ、王子駅まで歩いてしまった。途中、王子神社の前を通ったので、参拝する。

日暮里から京成線に乗り換える。
途中で金町線にまた乗り換える。

 「京成柴又」で降りる。4両編成の電車からほとんどの人が降りていく。小さな女の子が「どうしてみんなここで降りるの?」と聞いていた(笑)

ちょっと都内の駅前とは思えない風情、おまけにこんな人が立っていて、人だかりができている。

周りに人がいない状態で撮りたかったが、1日立っていてもそんな状態になるとは思えないので、仕方なくシャッターを押した。もちろん、隣のおじさんはうちのオジサンではない。

参道は人でごった返していて、歩きにくい。浅草寺の参道(仲見世通り)や巣鴨の地蔵通りともどうも勝手が違う。何が違うのかわからないが、いる間中、訳のわからない違和感がずっとあった。

PAP_0105.JPG

夫も同じだったようで、サクッとお参りした後そそくさと「次へ」といった具合だった。それでも、駅までの間に、草団子とせんべいと栗蒸しようかんを購入。今思うと、別にそこで買わなくてもいいようなものばかりだが、柴又=寅さん=草団子の図式に脳内が占領されていたように思う。

昼食をどこかでと思ったが、帝釈天の参道の飲食店はどこもいっぱいで、金町に行けば何かあるだろうと、柴又を出て金町に向かった。
ところが...土地勘がないので、飲食店が見つけられない。仕方なく、大きなMの看板のある店でとりあえずの昼食。木下優樹菜が言ってたっけ「金町なめんなよっ」(亀有だったかなぁ・・・)

水元公園まで駅から2kmとあったので、迷わず歩く。
小学校5年生の時だったか、遠足で金町浄水場と森永乳業の見学をして、水元公園でお弁当を食べた。それ以来なので、42年ぶり?orz

どんな公園だったかまったく覚えていない。
広いところだった覚えはあるが。

柴又の観光案内所でもらってきた地図を見ながら歩く。
途中、「しばられ地蔵尊」の看板にひかれ立ち寄る。

ほんとにお地蔵さんが荒縄で縛られてる。 

PAP_0127.JPG

縛って願をかけ、かなうと解くらしい。
もうすっかり、顔まで縄で巻かれてミイラのようになっていた。
縁起については、ここ

この南蔵院から10分くらいさらに歩くと、水元公園に着いた。
大きな池がある。釣り人も多く周囲には釣り具屋が軒を並べていた。

見覚えのある風景だが、子供の頃、父や伯父に連れられて釣りに来たのはここだったかもしれない。休みの日と言えば「釣り」だった。

 

PAP_0122.JPG

見渡す限りの池で、1周するとかなり時間がかかりそうだと思ったが、歩いてみた。
向こう岸に渡れるところがあったので、渡ってみるとそこは埼玉県。
池の対岸は「県営みさと公園」だった。池を挟んで違う公園になるとは思わなかった。


↓みさと公園側 

PAP_0126.JPG

途中、猫と遭遇し、うちの猫よりよっぽど人懐こい仕草にやられた夫は、私にさっき買ったせんべいを猫にやれという。食べ物なんかやらない方がいいというのに...
野良猫ではなさそうだが、とにかく寄ってきてニャァニャァ騒ぐ子たちだった。
で、せんべいを食べる猫ども。

PAP_124.JPG 

池の端っこまでたどり着いたが、対岸へ行くすべがなく、また、もと来た道を戻る。
ようやく水元公園側に着いたころは、閉園時間らしくどんどん人が外へ流れていく。
帰りはバスで金町駅まで行き、そのまま千代田線で帰途へ。

歩数22,851歩 歩行距離12.3Km 歩行時間203分

翌日は二人とも筋肉痛。

27年目

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結婚記念日だった。

朝、玄関で「27年目突入しましたぁっ」と見送った。
それだけ・・・

年々お手軽になるな(笑)

余命

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期せずして、私と夫の双方の父が入院中という事態で、なんとなくお互いにモヤモヤっとした日々を送っている。

留守中にまた、母から電話があり翌日折り返しかけてみると、父の足の具合はかなりよくなり、リハビリも始まっているらしい。
ところが、入院する少し前から、声が出なくなっているのが気になっていたが、そのことについて医師から母が呼び出されたという。

動脈瘤の解離が、のどの神経を圧迫しているために声が出なくなっているとのこと。手術をすれば声は再び出るようにはなるが、高齢なので手術のリスクは高く、声が戻っても寝たきりになるのは必定で成功率も芳しいものではないらしい。
希望するなら手術はするが、どうする?と決断を促されたそうだ。

自宅に戻って医学百科を見て調べた母は、80を過ぎた父の体にメスを入れるのは忍びないという。
手術をしなくても、リハビリをして歩けるようになれば普段通りの生活はできるようになるし、気に入って通っていたデイケアにもまた、行かれるようになるということなので、あえて、手術は受けさせないと決断したから...ということだった。

物理的な援助がほとんどできない娘なので、両親が快適に過ごしていけるように、母の負担が少しでも軽くなるような形を選んでくれれば、私が四の五の言う立場ではない。
痛い思いや辛い思いをせずに、天寿を全うできるように...思うことはそれだけ。

どんないいこと

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デジタル歩数計を買った。
PCにつないで、その日歩いた歩数、距離、歩行時間、消費カロリーが記録できる。
そのうえ、それを記録することによって、クレジットカードにポイントが加算されるって、いいと思いませんか?

普段使っている、カード会社からのメールでそのサービスを知り、1も2もなく何も考えずに登録してしまった。というわけで、デジタル歩数計が届いた。

さっそく、バッグにぶら下げて歩行開始。

まずは、2駅先の病院に義父を見舞いに行く。
心電図やら点滴やらあちこちチューブでつながれているのが、かわいそうだが、顔色は良かった。口が閉じられないのか、口で呼吸をしているのか、開きっぱなしなのでのどや口が乾かないかが気になった。当のおじいちゃんも、こちらに話しかけてくるのだが、普段一緒に生活をしていないので、何を言っているのかが皆目分からず、夫も困惑していた。

あとで、義姉に聞くと「おなかがすいた」か「水くれ」だと思うと言っていた。
せっかく行っても意志の疎通ができなくて、気の毒な事をした。

病人が何を言っているのかわからないのは、本当に気の毒。
父も、入院する少し前から、声が出なくなり、ささやき声で話す。もともと、10年前に患った脳梗塞で、呂律が回らなくなっているのでなおさらわかりにくい。筆談でもできればよいが、手に力が入らないので、ペンも持てない。
イライラせずに何度も同じことを繰り返してくれるのが幸い。
少しずつ聞き慣れてきて会話が可能になる。

頻繁に見舞えば、義父の言うことも理解できるのかもしれない。

病院を出てから、ホームセンターに足を延ばす。
別段、要るものがあったわけではないが、出たついで。
広い店内を隈なく歩きまわり、洗剤や家庭用品などを買い込んで帰途に。

初日の記録は 10934歩 6km強 2時間強
http://www.saisoncard.co.jp/netanswer/aqfwk/ 

母が手なづけているヤツら。
実は6匹もいるらしい。

なぜかカメラ目線

PAP_0114.JPG

すべて、我が家の裏の草っぱら。
台所の窓から撮影。

餌付けすることがいいこととは思わない。
再三、母には止めた方がいいというんだけど、やめない。
ネコ3匹で十分だと思うんだけど。

母の姿を認めて、わらわらと草むらから出てきたヤツら。
母の隣に私の姿を見つけて、一瞬固まった後、あわてて
引き返して行った。
そして、もう一度出直してきた。

 

PAP_0115.JPG

人の顔を認識する知能があるんだ・・・

東国三社

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PAP_0119.JPG

実家にいたころは、高校生だったので当然神社仏閣になど、まったく興味はなかったが、スピリチュアルな事に興味を持ちだしてから、ずっと気になっていたのが、地元にある神社。
そこにあることは知っていたが、中に入ったこともなかったし、なぜか廃墟のようになっていると信じて疑わなかった。

なので、ホームページがあったりしたことにも驚いたし、この東国三社について書かれているブログやサイトが多いことにも驚いた。

PAP_0121.JPG

地元にいながら一度も行ったことがなかった息栖(いきす)神社
香取神宮、鹿島神宮と直角三角形をなす位置にあり、
そこからの線を延長して行くと、富士山を通り、出雲大社に
行きつくらしい。

千数百年前に建立されたとか。
香取神宮も鹿島神宮も参道周辺は観光地化されているのに、
ここは参道すら何もなく、ひなびている割には、そこそこ
参拝客があるのが不思議。

PAP_0117.JPG PAP_0120.JPG

見たことある人

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PAP_0109.JPG

父が私を認識しなかったことについては、思ったよりショックではなかった。
からかわれたかもしれないと思ったからかもしれないし、子供のころからの父との関係を思い出してみても、お互いに確かに親子には間違いないが、思い入れが薄いというか、それよりショックな思いを思春期に父から受けていたせいかもしれない。

そのことを母に話すと、そういう事実があったことには驚いていたが、それなら無理もないねという感想だった。

いくつの頃かは忘れたが、家を訪ねてきた人に母が留守だったので私がお茶を出した。その時にその人が「娘さん一人じゃさびしいでしょう?」と父に尋ねたとき、父が「息子だったらよかったんだけど、娘一人だからねぇ、いないほうが良かったのに」と答えたのだった。

そうか...いない方が良かったのか。
それから、父とはあまり会話をしなくなった。その後間もなく、私は高校を卒業して家を出た。
そして、電話をかけても父が出るとすぐに母に代ってくれと言うようになった。

自分が子供を産むときにどうしても男の子がほしいと思ったのは、そのことがあったからかもしれない、今になってふと思う。父のために、男の子を産もうと思ったのか?

実家からの帰りにもう一度病院に寄った。
昨日と同じように母が父に尋ねる「この人だれ?」
「わからない、見たことはあるような気がする」

ま、いいや。

 

実家へ

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普段暇なくせに、そんな時に限って仕事が入っている...まぁ、そんなものだけど。

それでも、やっぱり親のことは気になるので、頻繁に電話をしていたら母から叱られた(笑)
大丈夫だから、自分の心配をしていろと...いや、お互いさまなんだけど。

高齢になると、ちょっと環境が変わると、自分がどこにいるのか、なぜそこにいるのかが分からなくなるというのは、義母で経験しているので、それが一番気になった。
入院していると、「ボケ」の症状が進むのだ。

ご多分にもれず、父も「会社から電話はなかったか?」とか「これから、配送に行かなきゃいけないのにどこだかわからないから、会社に聞いてくれ」等々、またまた言い出していると、母から聞いた。
仕事をしていたころの記憶が鮮明なんだろう。

高速バスを降りて、その足で病院に向かった。
父は横になっていたが、母の顔を見るなり「これから帰ろうと思ってたんだ」という。
母は「どうやって帰るのよ? 歩けないのに帰れないでしょ」

そういう言われ方をすると、絶対に怒っていたはずの父が怒らないで「へへっ」と笑っている。

病院について病室までの廊下で、母が私に
「先に行ってさ、誰だかわかる?って聞いてごらんよ、私隠れてるから」
(案外、人が悪いんだよね、この人)

え、えぇっ・・・
いや、そのシチュエーションは、ちょっと・・・それ、こわいからやめましょう、おかーさん。

バスの中でずーっと考えてた。もし、誰だかわからないって言われたら、どうしようか。とか
ちゃんと私を認識するかなぁ...と。

私が尋ねたことにはちゃんと答える。もちろん、いつもどおりに。
もともと、口の重い人なので、余分なことは言わないし、聞きもしないのだが・・・

訪ねて10分くらい経ってからだろうか、母が私をさして「この人だれ?」と聞いたら、想像していた通り「わからないなぁ」と答えた。
「東京から来た人か?」と。

東京から来たって...間違いじゃないし(笑)
やっぱり...わかりませんかぁ^^;
そうですかぁ。そうなんだぁ・・・

でも、それにしては最後まで「だれ?」って顔もせずに、普通に会話してたよなぁ。

もしかしてからかわれましたか?

義父入院

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ようやく仕事に一区切りがついて、明日は実家に行こう。
そんな矢先のこと。

出先から自宅に電話すると、夫がいきなり「親父が緊急入院した。さっきまで病院にいた」という。
義母が旅立ってから、いきおい精気が抜けて行った義父は、市場で足をけがして以来すっかり弱ってしまい、3年くらい前から自分の足で歩こうとしなくなり、今はほとんど寝たきりになってる。

その義父が、肺炎にかかったという。
高齢(93歳)ゆえに、普段かかっている病院では処置ができないということで、2駅先の病院に夫と義姉が運び込んだそうだ。

診察の後、いきなり夫が医師からつきつけられたのは「延命処置」をするか否かだった。
もちろん、夫の一存で結論が出せるわけではないので、3人の兄たちに電話をし、それぞれの意思を確認し、4人の息子たちの意見は一致した。

その後、義父は落ち着きを取り戻し、連れて行った時よりは顔色も良くなり、安定している。
まだ、点滴だけで過ごしているのでどのくらい入院するのかは未定だが、ひとまず家族も落ち着いた。

 

2010年5月

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